今日、久々にブログを書いている。
8月に入った。暑くて外に出たら滝のような汗が出る程だったのに、3日前の雷雨から今日まで、とても涼しい。
秋のような気候が、昔見た風景と心持ちを想起させる。切ない気持ちが戻ってくる。
このサイトを立ち上げたのが3年前。
自分で稼ぐ力をつけたいと思って、試行錯誤を開始した。
しかし、お仕事は相変わらずで、私生活が目まぐるしく変わった。
辛いことばかり思い出されるが、楽しいことのほうが本当は多かったと分かっている。
深い悲しみと怒りの感情で発狂することもあったが、そんな日々は私を成長させてくれた。
3年前の私と、今の私では、外から見たら何も変わっていない。
年齢を重ね、むしろマイナスになったこともあるかもしれない。
体型は崩れた。ニキビは相変わらず治らない。法令線も濃くなっているかもしれない。
年収も増えていない。社会に役立つスキルも増えていない。
婚活を頑張ったが、結婚はできていない。
でも、大好きな彼氏はできて、とても楽しい。これは嬉しい。
家族はみんな健康。
帰る家もあるし、仕事もある。
これをデフォルトだと思ってはいけない。
本当にありがたいことだ。
苦しいから、本を読んで勉強したり、体を動かしたり、瞑想したり、相談したり、なんとか抜け出そうと試み、その過程で成長することができた。
振り返れば、苦しいことが起こったのは、挑戦をしたからだ。
でも、挑戦をしなかったら苦しい出来事から逃れられたのだろうか。
答えはNO。
遅かれ早かれ、私はこれらのことを通して、学ばなければならなかった。
まだまだ、体力も精神力もある年齢でむしろよかった。
挑戦し、学んだから成長できた。
魂の修行と名付けようかな。
もし、80歳くらいまで生きられるなら、私はまだ折り返し地点にも達していない。
こんな人生、今すぐに終わってしまえばいいのに・・・
10代の頃から、早く人生が終わって欲しい、なんて願っていた。
でも、この願いは叶わなかった。笑
もし今、早く人生が終わって欲しいなんて思っている人がいたら、伝えたい。その願いは、残念ながら叶わない。だからこれ以上考えるのはやめて、他に何かやることがなければ、とりあえず寝て逃げてしまった方がいい。
人生が終わって欲しいと思ってしまうのは、いろんなことをすっ飛ばして簡単に言うと、とにかく、楽しくないからだと思う。
幸せになるためには、覚悟がいるのだ。
その覚悟の方向は人によって違うと思うが、私の場合は、「人がなんと言おうと、世間にどんな目で見られようと、自分が楽しいと思うことをする!」という覚悟だ。
もう手遅れだなんて言うかもしれないが、言ったら時間は戻るのか。
できない事を言っている時間さえもったいない。
そんな暇があったら、楽しい気持ちになるためにできる事を今、選択する。たとえば、美味しいものを食べる。
美味しいものを食べても、状況は何も変わらない。
でも実は、自分を不幸にしているのは、起きている現実ではなくて、実は状況を変えなきゃいけないんだという、石のように重くて硬い思考だと、私は気づいた。
自分を苦しめる重くて硬い石のような思考
ほとんどの人は、その石のような存在にも気づいていないかもしれない。
この年齢で、この年収じゃダメだよね・・・
みんなは結婚して子供もいるのに、なんで私は・・・
こう言ったことを考えてしまう時、その裏にはこうでなければならないんだという、強い決めつけがあった。
「少なくともこのくらいの年収はないとダメだ。結婚できないとダメだ。その他にも、嫌われたらダメだ。上手にできなきゃダメだ。」
自由を奪う重くて硬い決めつけ思考。
一般的な幸せの条件を満たしていた方が良いっていうのは、その通りかもしれないけれど、本当にそれが私の幸せにつながるかどうかは正直分からない。一般的な幸せの条件を満たしている自分を具体的に想像してたら、それはそれで苦しそうな顔をしている。
「年収がこのくらいあって、結婚して子供がいて、全部GETしてたら、私は幸せだったのに」なんて幻想だと思う。そんな幻想に苦しむのは自分が未熟だから。もし仮に全てを満たしていたら、その未熟さのせいで、もっと不幸だったかもしれない。
自由を奪う、その硬くて重い石を見つけたら、元気があればヨイショっと持ってポーイっと思い切り投げる。この思考はおそらく、親や、先祖が遺伝子に残してくれた、「その人たちが考える生きるために必要な条件」のような感じがする。それはそれで、愛なのだ。だから「ありがとーう」と言って、感謝の気持ちで空に投げ飛ばしてしまってもいいと思う。
そんな元気もでない時は、リラックスして石自体を溶かす。
自分を責めるのはやめて、美味しいものをゆっくりと食べたり、安心できる友人と話したり、お風呂に浸かったり、温泉に出かけたり、ちょっと旅行に行ったり、散歩をしたり、疲れていたら休んだり。寝ちゃってもいいし、泣いてもいい。
辛い経験をしてきたからこそ、私は、絶対に幸せになる。幸せになるのは、権利ではなく、義務だ。
私は、覚悟を決めた。